今日は少し重い日記になるかと思います。
とても難しい問題で、これが正しいと一言で言えないのは
わかっていることなのですが
ニュースを見る度、日々考えてしまうことが多いので
日記にしてみようと思います。
「裁判員」という制度が始まってから
日々、それをニュースで見聞きすることが多くなりました。
今日は、裁判員裁判では初めて、少年への「死刑判決」との
ニュースを見ました。
誰しもがいつかはやるかもしれない「裁判員」。
この責任の重さは、きっとなってみた人にしか
わからないことだと思います。
私が思うのは、
特に、専門の知識がある訳でもない民間から選ばれた
裁判員が「死刑」が予測されるような
重い犯罪事件を、裁く意味ってあるのでしょうか。
ということです。
誰だって、人を「死刑」することを躊躇うと思います。
死刑が確定した、死刑囚に対しても
法務大臣は、執行の手続きをなかなかしないというのに
民間の人間に、判決をさせるという
その重さは、必要なのでしょうか。
それとも、重い犯罪事件を扱うことに
相当の意味があるのだというのならば
それをもっと説明、主張した報道をして欲しいと思います。
マスコミはいずれも
それを正しいとする、報道はしていないように見えます。
これってどうなのでしょうか、といつも提議しているように見えます。
納得がいきません。
もし私が裁判員になったら…
残虐な殺人シーンの説明や、画像や物品を見せられたり
その上で、この人を死刑にするか否か決めろだなんて
最後までやり遂げられるか、自信がありません。
今日もニュースでは
判決を終えた裁判員の方が、記者会見に出ていました。
本当に尊敬します。
その方も、どうすればいいか本当に悩んで
涙したこともあったと、語っておられました。
本当にこれって、正しいのでしょうか。
今日の私のBGM。いろいろ。