2012年12月12日

車椅子で電車に乗るということ。

電車の3両目に乗っていました。

とある駅に、電車が停車する直前、
のろのろと止まろうとする直前、
車椅子に乗った一人の女性が、ホームを歩いているのが見えました。

停車し、私の立っているドア付近からは、女性の姿は見えなくなり、
通勤ラッシュちょい手前とはいえ
結構な人数の乗客が乗り込んできました。

“あの方はこの電車に乗ったのかな?乗れたのかな?”
と思っているうちに、ドアが閉まりました。
発車しました。

ドア越しに
女性が、ホームの一番前にまだいるのが見えました。
この電車には乗れなかった(乗らなかった)のです。

私が乗っていた3両目の地点から、女性がいたホームの一番前までの間には
駅員さんはいませんでした。

女性が、この電車に乗れなかったのか、乗らなかったのか
それは分かりません。
もし女性が車椅子に乗っていなかったなら、余裕を持って
電車に乗り込めるタイミングだったはずでした。


私は電車に乗っていて、申し訳ない気持ちになりました。


駅のエレベーターから、ホームの一番前までは
結構な距離があります。
恐らくですが、鉄道会社によって
車椅子の方をご案内する場所が決まっていて
今日の場合は、それが「一番前の車両」だったのではないかと思います。

お体に不自由をお持ちの方が乗るべきエレベーターが
遠い
って、どうなんでしょうか。

そして、通勤ラッシュちょい手前とはいえ、忙しかったのかもしれませんが
駅員さんが付き添っていないことが
すごく腹立たしく、もどかしかったです。

女性はこの寒い中、目の前の電車には乗れず
次の電車を待たなければならない訳で
お一人の力で電車に乗ることが、危険であることは
誰の目から見ても分かることであるのに、
かと言って
数人で、車椅子ごと抱えて女性を電車に乗せるという行為も
それはそれで危険に思います。
何も出来ない自分を含む、周りの人間みんなが
とても情けなく感じました。


「障害者」という言葉が、適切ではないのではという
論議をよく目にします。

私は
体に不自由をお持ちの方々に対して「障害」をもたらしているのは
ほかでもない私たちなのではないかと、思います。

電車を時刻表通りに運行することは、確かに重要かもしれません。
ですが、なにかスッキリしません。

「バリアフリー」なんて言葉だけが一人歩きして
ちっとも優しくない社会だ、と思ってしまいます。

自分には何が出来るのだろう。
何が正解だったのだろう。


皆さんどう思われますか。













今日の私のBGM。なし。





posted by ちぃ at 00:00| 日記